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今週のコラム 104回目 バネ式針生検の登場は、(あたかも全自動洗濯機の登場のように)現場を変えたのです。

今週末も台風。そして雨。

この時期、雨が降るたびに季節がすすみ寒くなりますね。

仙台時代の私は、この時期は「早く雪が降らないかなぁ」 白銀のゲレンデに夢をはせていました。

今思えば、「夏が去る寂しさ」から(自分自身)眼を逸らしたかったのかもしれません。

 

FMから流れたshort story

夫「今日は日曜日だから思いっきり楽しもうと思うんだ。それで、映画のチケットを3枚買っておいたよ。マイハニー!」

妻「まぁ、あなた素敵ね。でも何故3枚?」

夫「それは、君と君の両親の分だからだよ。」

 

 

★このQandAでも、しばしば指摘してきたことですが「細胞診」は以下の生検手技の中で最も技術の差が出ます。

 

組織採取量の順に

①細胞診 <<<<< ②バネ式針生検 << ③CELERO << ④MMT

 

①細胞診

細い針(注射針)をターゲットに刺して、「手動」で注射器を動かしながら「シュポシュポ」と「手動」で吸引する。

 

 

 

 

 

 

②バネ式針生検(「針生検」と言えば一般的にコレを指す。CNB core needle biopsyと略す)

太い針をターゲットに刺して、「バネの力」で自動的に打ち抜く。

♯イメージとしては地質のボーリング検査(解り難ければ、クッキー作りの「型抜き」みたいなもの

 

③CELERO

比較的新しく導入された、「バネの力」で『吸引圧をかけながら打ち抜く』

「バネの力」という意味では②の、「吸引圧をかける」と言う意味では④の両方の性格を持つ。(保険上は「吸引式針生検」となり④の一種とみなされる)

♯この「吸引圧」をかける効果は絶大であり、②とは比較にならない採取量となる

 

 

④MMT

(上記①~③と同様)エコー画像をターゲットとしたMMTEと(マンモで見える石灰化をターゲットとした)ST-MMTがある。

MMTEは(①~③同様に)術者が自分で持つのに対し、

 

 

ST-MMT(マンモグラフィーガイド下マンモトーム生検)はマンモ装置に固定される。

 

 

 

 

 

 

 

 

(家庭用の掃除機同様)電気の力で『吸引圧をかけながら』組織を採取する。

かなり太い針で「吸引」が(③ではバネの力で一瞬なのに対し)電気で「長時間吸引圧をかける」ことが特徴

「持続的な吸引」と「太い針」の効果は絶大であり、小さな線維腺腫なら「取りきる」ことさえ可能

 

☆便利になるということは「楽」になるということと同義であり、「細胞診」⇒「針生検」への進化は例えるなら「マニュアル車よりもオートマ車の方が運転が楽」なのと似ています。

具体的に言えば、細胞診は「ターゲットに刺す」⇒(自分で)「針をターゲット内部で動かしながら」⇒(自分で)注射器を「シュポシュポ」吸引圧をかけるのです。

(細胞針が)難しい訳は

1.細い針であること。(そもそも量を採取するには不利な条件)

2.針を(ターゲット内部で)動かす必要がある(1の弱点を補うため)

3.吸引圧も弱くなりがち(手動ですから)

 

これに対し、針生検(バネ式)は

(上記1に対して)太い針である

(上記2に対して)ターゲット内部で動かす必要がない

(上記3に対して)バネの力で「自動で」協力な吸引が得られる。

 

☆お解りですね?

バネ式針生検の登場は、(あたかも全自動洗濯機の登場のように)現場を変えたのです。

これについては私に明確な記憶があります。

 

○生検手技の変遷

 

1.(私が)外科研修医だった頃

私が研修医として産声を上げた(20年以上前)時には「細胞診」しかありませんでした。

未熟な研修医としては「細胞診」は難しい存在でした。

そもそも当時は「乳癌」自体が圧倒的に少なく、外科研修医時代に外来で乳腺のエコーをすること自体皆無であり、想像を超えた世界でした。

乳腺の超音波の経験のない研修医時代に、「乳腺の細胞診」をしたことはなく、(ちなみに)先輩医師が細胞診をしている姿をみることもない3年間でした。

●豆知識 この時代は「内視鏡外科」が産声を挙げた時期です。私が外科研修医時代には「胆のう摘出術」に「腹腔鏡下胆のう摘出術(いわゆる ラパ胆」が初めて導入されました。最初は現場では反発(カメラで見ながらの手術なんて、手術じゃない!)されましたが、(ゆっくり、そして確実に)標準術式となりました。この流れから「外科の未来は内視鏡外科だ!」と感じて、(この時期には)「内視鏡(消化器)外科医」を専攻するつもりでした。(外科研修医にとって、自分の「専門」を決める時期なのです)

 

大学病院時代

(研修病院での)3年間の外科研修医を修了し、(山形県から仙台へもどり)大学病院での修行開始(同時に大学院へ入学、基礎研究もスタート)

最初の1年は大学病院内でローテート(食道グループ⇒内視鏡外科グループ⇒肝移植グループ)していました。

当時「東●大学 第2外科」には①(肝)移植グループ ②食道(癌)グループ ③内視鏡外科グループ ④乳腺グループ ⑤甲状腺グループが存在していました。

「入局1年目」は、そのうちの3つを(自分で)選択し、ローテートして「自分が所属するグループ」を決める時期なのです。

(其の当時)乳癌は絶対数が少なく(当然、注目される分野では無かったので)、まさか私が「乳腺グループ」に入るとは其の当時想像もしていなかったのです。

ただ、(今思えば)「時代の流れ(乳癌の急増)」は、すぐそこまで迫ってきていたのです。

「直接のきっかけ」は省略しますが、(自分ではそれまで考えてもいなかった)「乳腺グループ」へ所属することになりました。

「大学病院、乳腺グループ(乳腺班と呼ばれていましたが)」での数年間。

(今思えば、極めて未熟ながら)外来診療をして、(恥ずかしいような)手術も時々していました。

其の当時は…

よほど「癌を超音波で疑わない限り」細胞針はしない。(どうせ上手く、刺せないから)

結局。「細胞診は相変わらず上手くならない。」まま大学病院時代は終了をむかえます。

 

 

その当時は「細胞診が上手い医師=経験豊富な器用な医師」という、そんな時代でした。

♯そんな状況でしたから、「小さな腫瘍を癌と診断」することが(今より)極めて難しかったことも「容易に」想像がつくと思います。

未熟な、我々「若手医師」にとっては「(病変は)大きくならなければ診断できない」のは当たり前だったのです。

 

その当時、(大学病院近くにあった)東北○済病院には(伝説の)木○先生と、平○先生が驚異的な技術を背景に症例数を伸ばしていました。その2人の常勤医ですでに東北No1を不動としていたのです。

その当時の病理医から話を聞くと、「大学の先生達は細胞が取れない」「公○病院のお二人は別格!」

そんな(下手くそな)我々大学病院の医師達を救ったのが、「針生検(バネ式)」の登場です。

♯私の印象では今から20年前位に(大学に)導入されました。

針生検は「全自動」なので(細胞診で上手くとれない)我々「未熟な大学病院所属医師」にとっての救世主となったのです。

 

東北○済病院時代

それから数年経ち、私も大学での修行(そして学位もとり)を終え、何とあの(「憧れ」と「恐怖?」であった)「東北○済病院」へ赴任することとなりました。(今から15年以上前の話です)

当時から「圧倒的な地位」にあった東北○済病院に私が選ばれたのは、決して「私が優秀で将来性があるから」ではありませんでした(おそらく)

当時、伝説の木○先生が病院を去り平○先生がトップとなり、僅か2人で(すでに当時、年間症例数250以上を誇っていた乳腺外科を)支えるには、「肉体的にも精神的にも」最も過酷とされ、私の先輩達は「あそこだけは勘弁してくれ」となかなか埋まらないポジションだったのです。(そこで、最も「従順そう?」な私に白羽の矢がたったようです)

 

東北○済病院に赴任して、とにかく舌をまいたのは「細胞診の上手さ」(と当然ながら「乳腺エコーの上手さ」です。

赴任当初、(大学では当然、経過観察とされるような)小さな病変でも「正確に細胞診」が行われており、(私が、「こんなに小さな病変は刺せないよな!」と思い、経過観察とした症例を)厳しく「何で、細胞診しないんだ! 良性だと確信できるのか!」と(当時)厳しく指導されたものでした。♯この時期に私の診療スタイルが確立していったのです。

大学病院では(細胞診が上手くてきないことも背景にありますが)針生検が優勢となり、(これでますます細胞診の技術が失われていくことになるのですが…)細胞診が行われるケースは激減していました。

(一方で)ここ東北○済病院では、「細胞診精度が非常に高かった」ために「暫くは針生検は導入されなかった」という逸話があります。(「我々には細胞針で十分に診断ができる。」というプライドです。「細胞診で十分じゃん!」ということです)

そういう背景があり、私が赴任後数年して「ようやく」針生検が(東北公○病院に)導入されたのです。(そして、その圧倒的症例数が我々をすぐに「針生検でもプロ」としてくれました)

 

八戸市○病院時代

細胞診と針生検(バネ式)で(東北○済病院で)とんでもなく多くの症例をこなしてきた私にとって、業者から「MMTEの導入はどうですか?」と言われた時、(プライドを持って)「現状(細胞針とバネ式針生検だけ)で、全ての症例を診断できるから、私には必要ない」と最初は断っていました。

ただ、(しつこく営業をかけられて)しぶしぶ使ったMMTEは…

「これはいい! 針がしっかりしているから硬い乳腺にも楽に入るし、(何より)凄い量の組織量だ!」

その「採取される組織量」に驚いたものです。

「金太郎飴」みたいな腫瘍ならバネ式でも十分だけど、「腫瘤非形成性病変」みたいな「不均一で広範囲の病変」には絶大な威力だったのです。

 

江戸川病院時代

そして現在。

「細胞診」「針生検(バネ式)」「MMTE」という武器を持っていた私にとって、最初「CELERO」は極めて中途半端な存在に写っていました。(ニッチ:隙間産業のようなものです)

ただ、ためしに使ってみると、「丁度いい塩梅」の症例がイメージできました。

こうして全ての手技が(私の中で)「使い分けられて」いるのです。